今回は「遺言書が実際にどういう場面で、どのように利用されるのか」について、お話しいただければと思います。
遺言書には主に、自筆で作成する「自筆証書遺言」、役場で公証人の立ち会いのもとで作成する「公正証書遺言」があります。他にも「秘密証書遺言」などもありますが、一般的に利用されるのは、主にこの二つです。
特に、公正証書遺言を作成する場合は、法律の専門家である公証人が内容をきちんとチェックしたうえで作成するため、後で無効になることが基本的にはありません。
一方、自筆証書遺言の場合は、民法で様式が厳格に定められています。その様式に従わないと、せっかく書いた遺言書が無効になったり、かえって相続争いの火種になったりすることもあります。
今日は「自分で作る自筆証書遺言において、どこに注意すべきか」という点についてお話ししていきます。
事例:遺言書作成を考える阿部静江さん
具体的な事例を挙げた方が、皆さんイメージしやすいと思います。今回取り上げるのは、阿部静江さん(70歳)という女性です。
※ここで登場する人物の名前は、実在する方とは関係ありません。日本によくある名前を例として使っているだけです。登場する財産や口座番号なども、すべて架空のものです。
阿部静江さんは、現在も独身でお子さんもおらず、両親もすでに他界されています。いわゆる「おひとり様」で、法定相続人はいません。ただ一人、唯一の法定相続人として、弟の阿部寛さん(65歳)がいらっしゃいます。
もし弟さんに遺産を引き継いでほしいというのであれば、遺言書がなくても問題はありません。しかし、実はこのご兄弟、10年前に遺産相続を巡って大喧嘩をしてしまい、それ以降は絶縁状態です。全く交流がないばかりか、「弟には絶対に自分の遺産を渡したくない」とまで考えているそうです。
このまま遺言書を作らなければ、法律に従って弟さんが全財産を相続することになります。そうなるのを避けたいという想いがあり、遺言書の作成を検討することになったのです。
献身的に支えてくれた友人への想い
阿部さんはこの5年間、入退院を繰り返していました。退院のたびに、身の回りの世話をしてくれたのが、親友の吉永小百合さんという女性でした。
彼女に対して阿部さんは、「本当に感謝している。何か恩返しがしたい」という強い気持ちをお持ちです。そこで、自分の遺産の3分の1程度を、吉永さんに遺贈したいと考えました。
ただし、吉永さんは法定相続人ではないため、遺言書でその旨をしっかり記載する必要があります。
残りの財産については、一人親家庭の支援をしているNPO法人「税併給法人」に寄付したいとも考えていました。
遺産の内容と具体的な記載
遺産の内訳は次のとおりです:
- 東京都内のマンション:約3,500万円
- 三菱UFJ銀行 ロバ支店の定期預金:約700万円
- ゆうちょ銀行の貯金:約300万円
- 投資信託(法信託蔵プレミアム):1口1円で1,500万口(約1,500万円)
これらを合計すると、約6,000万円相当の遺産になります。
阿部さんは、自分の想い通りにこの遺産を配分できるよう、遺言書を作成することにしました。
自筆証書遺言の書き方と注意点
遺言書には「これが正解」という書き方はありません。ただし、自筆証書遺言には法的なルールがありますので、それに沿う必要があります。
まず、遺言書のタイトルとして「遺言書」と明記します。本文はすべて本人が自筆で書く必要があります。パソコンで打ったものや、他人が代筆したものは無効になります。
字が汚いからといって他人に書いてもらったり、署名だけ本人という形式は、法的に認められません。字が書けない方は、公正証書遺言を検討したほうがよいでしょう。
2018年の法改正によって、本文は自筆でなければいけませんが、「財産目録」に限ってはパソコンでの作成が認められるようになりました。その結果、自筆証書遺言のハードルは少し下がったといえます。
保管制度や検認の必要性
自筆証書遺言は、相続発生後に家庭裁判所の「検認」手続きが必要になります。ただし、法務局の「自筆証書遺言保管制度」を利用すれば、この検認は不要となります。
その意味でも、この制度を活用すれば、自筆証書遺言のリスクはかなり軽減されるでしょう。
遺言書の書き直しと日付の重要性
遺言書は、何度書き直してもかまいません。ただし、「いつ書かれたものか」が明記されていないと、どの遺言書が有効なのか判断できず、相続トラブルの原因になります。
そのため、必ず作成日を明記することが重要です。
自筆証書遺言の「日付」の記載ミスについて
パソコンで打ったものや、手書きで書いたものの中に、日付の記載で間違っているケースがあります。
たとえば「平成2019年1月28日」と書いてしまった場合、平成と西暦が混在しており、本来は「平成31年」または「2019年」とすべきところです。これは明らかに間違いですが、「無効になるかどうか」はケースバイケースです。このような記載によって、遺言書の効力をめぐって争いが起きる可能性はあります。
また、以下のような曖昧な日付の記載も避けるべきです:
- 「2019年1月末日」
- 「2019年1月吉日」
「末日」であれば、まだ月末(たとえば31日)と特定できる可能性がありますが、「吉日」のような抽象的な日付が複数見つかった場合、「どちらが新しい遺言か」を判断することができません。結果的に、せっかく書いた複数の遺言書が無効になる可能性があります。
したがって、日付の記載は必ず具体的に、間違いのないよう慎重に書くことが重要です。
署名と押印の注意点
遺言書には署名と押印が必要です。ペンネームを使用する場合、それが本人のものとして長年使用されていたという証拠がなければ、本人確認が困難になります。基本的には実名での署名が望ましいでしょう。
また、押印についても、本人の認印や実印であることが明確であれば問題は少ないですが、誰の印鑑かわからないような印影では、効力に疑義が生じることもあります。
訂正方法と実務での取り扱い
遺言書を書いていて、もし文字を書き損じた場合、民法の規定により厳格な訂正方法が求められています。具体的には、
- 訂正箇所を明記する
- 訂正した文字数を記載する
- その横に署名押印をする
という手順が必要です。
しかし、実務上は、二重線で訂正して余白に正しい文字を書き、訂正印を押すだけの「軽微な訂正」で済まされるケースもあります。たとえば、「一億円」と書くべきところを「八億円」と書いてしまった場合、文脈から読み取れるようであれば無効とはされません。
ただし、「8」と「3」が区別できない、「読めない数字」や「どちらにも読める漢字」などがあると、解釈をめぐって争いになることもありますので、注意が必要です。
複数ページにわたる場合の注意点
遺言書が2ページ以上になる場合、それぞれのページが同じ一通の文書であることを明確にしておかないと、ページの一部が差し替えられるなどして争いになる可能性があります。
たとえば、次のような対応が望ましいです:
- 各ページにページ番号を記載する(例:1/3、2/3、3/3)
- ページの間に「契印(けいいん)」をする(1ページ目の裏と2ページ目の表にまたがって印鑑を押す)
- 製本テープでまとめたうえで、綴じ目にも契印をする
契印により、「この2枚(または3枚)はすべて1つの遺言書である」ことを示すことができます。
遺言執行者の指定
遺言書を作成しても、それを実際に執行する人がいなければ、内容が実現されないこともあります。そこで、遺言書には「遺言執行者」を指定するのが一般的です。
遺言執行者が指定されていない場合、家庭裁判所に申し立てて選任してもらう必要があります。その分、時間も手間もかかりますし、「誰を執行者にするか」で揉めることもあります。
あらかじめ信頼できる人を遺言執行者として明記しておくことで、手続きをスムーズに進められます。遺言執行者がいれば、不動産の名義変更や預金の解約なども、本人の権限で速やかに行えます。
なお、遺言書で指定されても、本人に事前に相談がないと「知らない間に遺言執行者にされた」としてトラブルになる可能性もあります。事前に本人の承諾を得ておくのが望ましいです。
予備的遺言(予備的条項)について
今回のケースでは必須ではないかもしれませんが、「予備的遺言」として、たとえば「遺言執行者が自分より先に亡くなった場合は、○○を代わりの遺言執行者とする」といった二段構えの指定も可能です。
同様に、「財産を渡す予定だった人が先に亡くなっていた場合」に備えて、次に渡す人を指定しておくこともできます。これは特に相続人が複数いる場合や、寄付先の法人が解散している可能性がある場合に有効です。
たとえば:
「この法人が解散していた場合、同様の目的を持つ他の法人に寄付するものとする」
といった条文を加えておくと、遺言の実効性が高まります。
保管と発見の重要性
自筆証書遺言は封印義務がありません。自宅に保管していた場合、誰かに抜き取られたり、そもそも発見されなかったりするリスクがあります。特にお一人暮らしの方の場合、亡くなったあとに誰にも遺言書が発見されず、そのまま相続が進んでしまうケースもあります。
そうしたリスクを避けるために、**法務局の「自筆証書遺言保管制度」**の利用が推奨されます。この制度を使えば、裁判所での検認手続きも不要になり、相続人への通知も自動的に行われます。
自筆証書 vs 公正証書
私は個人的には公正証書遺言をおすすめしていますが、時間的な制約がある場合や、まず急いで遺言書を用意したいというときは、先に自筆証書遺言を作成しておくのが良いです。
実際、私の経験でも、「公正証書遺言を作成する予定で相談に来て、2週間後に再来所予定だった方が、その前に心臓麻痺で急逝してしまった」というケースがありました。
そのような場合でも、自筆証書遺言が先に作成されていれば、少なくとも遺志を反映した相続が行えたのです。